三十番碁の転換点

Japan flagOta Yuzo (7-dan)
vs
Japan flagHoninbo Shusaku (6-dan)
白三目勝ち

嘉永6年(1853年)7月。江戸。 太田幽沢(七段)と本因坊秀策(六段)の三十番碁は、江戸期最大の長期対局だった。後援者赤井五郎作が、秀策が現役最強だという主張に太田が異を唱えて組まれた。通常の十番碁より速いペース、およそ週一局。第十七局は7月10、20、26日に打たれ、転換点となった。228手、白三目勝ち。

対局

太田は四十六歳、天保四天王の一人で、秀策に分先で挑める数少ない棋士だった。1853年3月開幕、最初の十局は互角に近かった。十一局目から秀策が加速し、十七局後に太田は四局遅れ。この局で秀策が白番、太田の抵抗を打ち砕き、以降ハンデへ向かわせた。

88手

評論家は白88を決定的な一手とする。早すぎる侵入を避け、厚く補強した一手で、伝統的な言い回しでは「これで勝ち」と言ったかのようだった。華麗な手筋ではなく、秀策を複雑さに頼る棋士と分ける自信の一手である。

対局の終わり

三十番碁は二十三局で公式打ち切り。秀策が御城碁に召され、太田が遅れすぎたため。二十三局目が二十四時間近く続き引き分けで太田の面目を保ったという伝承はあるが、史家は逸話扱いとする。太田は1855年に死去。秀策は公式御城碁十九連勝を飾り、1862年の死まで江戸後期最強と記憶される。

主要資料:CWI Amsterdam秀策アーカイブ(三十番碁第十七局、RE[W+3]、228手)、パワー『秀策無双』、Wikipedia秀策・太田幽沢、VitWiki名局索引。