李昌鎬 対 馬暁春
1996年8月3日。東京・九段会館。 当時最長の国際碁チャンピオンシップ第9回富士通杯の決勝。韓国の李昌鎬(黒、二十一歳、不動の棋風で恐れられていた)と、中国の守り王者馬暁春(白、同国初の世界タイトル獲得者)が対峙した。コミ5.5、持ち時間各三時間の一局勝負。165手で李が投了に勝ち、初富士通杯、賞金二千万円。1996年だけで四つの世界タイトルを制した年の一つである。
富士通杯
1988年創設、富士通と読売新聞が後援。国際カレンダー屈指の大会。多くの世界決勝と違い一局勝負:一午後、やり直しなし。第9回は日中韩世界から二十四人、前年上位は二回戦シード。馬暁春は守り王者、1995年第8回決勝で小林光一を破り中国初の世界王者となった。
石仏と妖刀
対照的な棋風。曹薰に育てられた李昌鎬は「石仏」(Seokbul)の異名:穏やかで厚い棋、終盤の致命的な一瞬を待つ。十八歳で九段の神童馬暁春は1990年代初頭中国の覇者:軽快で予測不能。「妖刀」(Yaodao)と呼ばれ、相手の模様を切り裂く。1996年時点で名人戦十三連覇など国内を席巻していた。しかし李は韓国碁の昇り龍。この決勝は再戦でもあった:1996年3月東洋証券杯決勝で李が馬を3-1で下している。
決勝への道
四月からのノックアウトを突破。馬は準々決勝で小林覚に半目、準決勝で劉小光に5.5目。李は聶衛平・大場奨学を破り、同じ準決勝で小林光一に7.5目。同日、小林光一が劉に三位決定戦で勝利。主役は韓国の若手と中国の王者だった。
決勝局
李が分先で黒。現代中国流の布石:角への打ち込み、辺の拡張、中央の模様争い。馬は読みが光る複雑さを求めた。李は石仏らしく石を固めてから利を伸ばし、急がず忍耐が報われる場面だけ押した。終盤前に黒へ不可逆的に傾き、馬は165手で投了。李は2時間46分、馬は2時間59分、三時間中ほぼ使い切った。
李の覇業の年
韓国メディアは世界最強の確認と報じた。1996年のトロフィーは驚異的:2月真露杯団体金、3月東洋証券杯、5月TVアジア杯、8月富士通杯。応昌赫にIng杯準々決勝で敗れた以外は国際シーズンほぼ完璧。馬にとって敗戦は痛いパターンの始まり:以降も李ら韓国勢との世界決勝に何度も立つが、最高水準でも届かないことが多かった。
なぜ記憶されるのか
1996年富士通杯決勝は、世界舞台での世代交代として記憶される。馬暁春が中国でも世界タイトルを取れることを証明し、李昌鎬が韓国がそれを支配することを示した。李の科学的で忍耐強い韓国流は次の十年を定義し、馬の華麗だが足りない戦いは、石仏のテンポでは勝てない難しさを示した。一撃の花火ではなく、圧力と厚みと、目数が一方向に動いている静かな確信。それが李昌鎬の芸術だった。
主要資料:日本棋院富士通杯アーカイブ(第9回結果)、GoGoD・Sensei's Library大会記録、棋譜(SGF、RE[B+R]、KM[5.5])、中央日報当時の報道。